おととしの、秋の話しです。
私が小学校5年の時に家をでて、居場所のわからなかった母に、
祖母の葬式の時、23年振りで、顔をあわせました。
その時、母の家に遊びに行く約束をしました。
その日は、私が料理を作りました。
ハンバーグと肉じゃがと、簡単なサラダです。
2人で食事をして、お酒を飲んで、
はじめはあたりさわりのない話しをしてましたが、
だんだん、「何故いなくなったのか?」という話しになりました。
母はたんたんと話します。
私も、母がつらくならないように、途中、冗談を入れながら、
聞きました。
帰る時、「今日はおかあちゃん、なんも できひんかってごめんな。」と、
言ったので、私は「ほな、残ったごはんで、おにぎり作って」と言いました。
母は、「そんなんで、ええんか」と笑いながら作ってくれました。
帰り、駅からタクシーに乗りました。
今日のことを思い出しているうちに、不覚にも涙がててきました。
運転手さんがびっくりして、「気分悪いんか?」と
聞かはりました。私は、
「いえ、なんか、嬉しくって、泣けてきちゃったんです」と、
泣き笑いしながら、運転手さんに、今日の事を短く話しました。
すると、運転手さんも一緒に泣き出してしまいました。
「よかったな、よかったな」と鼻水まですすってました。
家に持って帰ってきたおにぎりは、冷凍庫にいれて、
元気のない日に、1コづつ、大事に大事に、食べました。
今日は結婚記念日でカミさんと外食した。
レストランはそこそこに混んでいてガヤガヤうるさかった。 特に隣の家族がうるさくって、カミさんとちょっと顔を見合わせて苦笑いをしたぐらいだった。
父親が子供にいろいろ質問しては笑い、っていうのがえんえん続いてこっちもうんざりしてた。 しかも、その父親がやたらと大きく咳き込むので実際鬱陶しかった。
しばらくすると、ウチのカミさんがその家族の父親を見て、「ちょっとあのお父さん見て」と 言うので、見つめるのも失礼なので向いの鏡越しに彼の後姿をみてみた。
咳き込むたびに ハンカチを口に当てていて、それをポケットにしまうのが見えた。ハンカチは血だらけだった。 咳き込んだあとは赤ワインを口に含んで子供たちにばれないよう大声で笑いごまかしていた。
向いに座っていた彼の奥さんは笑っていたが、今にも泣きそうな顔をしていた。 奥さんはどうやら事情を知っているみたいだった。その父親が何らかの重い病気なのは明らかだった。うちのカミさんはちょっともらい涙していた。
帰りに俺は無神経にも「今日はなんか暗い結婚記念日になっちゃったな。台無しだよな」 とカミさんにいった。
カミさんはちょっと沈黙を置いて、
「かっこよかったじゃんあのお父さん。ああいうお父さんになってね」
って涙声で俺に言った。俺もちょっと泣いた。
私が彼と最初に出会ったのは会社の懇談会でした。
ふとしたことから一緒に遊ぶようになり、付き合いはじめました。 私はもともと打たれ弱い性格だったので、彼にグチってしまうことが 多かったのです。
でも、彼はそんな私に嫌な顔一つせずに、優しい言葉をかけてくれたり、 励ましてくれていました。彼はグチ一つこぼさず、明るい人だったので、「悩みがないなんていいねー。」なんて言ってしまったりすることもありました。
彼との別れは突然訪れました。彼が交通事故で亡くなったのです。彼のお葬式に行っても、まったく実感が湧きませんでした。 お葬式の後、彼の両親から彼の携帯を渡されました。
携帯をいじっていると、送信されていない私宛のメールが たくさんあるのに気付きました。 そのメールには仕事のグチや悩みごとなどがたくさん書いてありました。
その瞬間、私は彼の辛さに気付かなかった自分のくやしさや、無神経な言葉を言った 自分への後悔、常に私を気遣っていてくれた彼への感謝で涙が止まりませんでした。
あの日からもう1年以上になりますが、その携帯は大切にとってあります。
幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。学もなく、技術もなかった母は、個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので、何とか母子二人で質素に暮らしていけた。
娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに遊びに行っていた。給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。
ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。俺は生まれて初めてのプロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。
野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。母がもらったのは招待券ではなく優待券だった。
チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わなければいけないと言われ、帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、外のベンチで弁当を食べて帰った。
電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。
俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。結婚もして、母に孫を見せてやることもできた。
そんな母が去年の暮れに亡くなった。
死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように「野球、ごめんね」と言った。俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。
子どもを持つ親なら、自分の子どもは「思っていた以上に深い考えを持っている」と感じる瞬間が少なからずあるかもしれない。「子どもは何も知らない」と思い込むのは親の勝手で、逆に親が子どもの一面を知らないということも多いようだ。実はしっかりと大人の行動を見ている子どもたち。愛情豊かに育てれば、きっと同じだけの愛情が返ってくるに違いない。2年前、脳のガンで6歳の少女を亡くした米国人夫婦がいる。「あまりに短い命」と悲しみに暮れる夫婦だったが、少女の死後、家の中で家族に宛てた彼女のメモを見つけた。それは1通だけでなく数百通にも及び、今なお思わぬところから見つかることもあるという。
エレナ・デッセリッチちゃんに深刻な病気が発見されたのは、6歳の誕生日を間近に控えた2006年11月末のこと。言葉がうまく話せなくなり、まっすぐに歩けなくなったエレナちゃんを医者に見せたところ、びまん性グリオーマという悪性の脳腫瘍と診断された。米放送局ABCは、この病気を「米国で年間200~300人程度の子どもが発症する最も毒性の強いガン」と説明している。エレナちゃんには残念ながら回復の見込みはなく、余命4か月半と宣告された。
しかし、わずかな可能性に賭け、エレナちゃんに病状を告げずに懸命の対処を試みた両親。それと同時に「残された時間を、エレナと妹のグレイシーにとって特別な瞬間にしよう」(英紙デイリー・メールより)と、夫婦は心に誓ったという。「ガンだけにとらわれず、家族と共にエレナがしたいことをすべてやれるようにしたかった」と話す父キースさん。病気が明らかになってすぐ訪れたクリスマスも盛大にパーティーを開くなど、4人の時間を大切に使い始めた。
医者に宣告された余命日数は超えたものの、病気は確実に進行。診断から約9か月が経った2007年8月、エレナちゃんは短い生涯を閉じた。最後は麻痺から話せなくなったというエレナちゃん。しかし、本と絵が好きだった彼女は、自らの運命を知っていたかのように、家族に内緒である行動を続けていた。残された家族がそれに気付いたのは、エレナちゃんが亡くなって数日後だったそうだ。
両親や妹のグレイシーちゃんは、家の中の至るところから、エレナちゃんが書いたメモを発見。ポストイット、プリンター用紙、切れ端など、さまざまな紙に書かれたそのメモは、両親や妹のほか、祖母やおばさんの飼い犬にまで宛てたメッセージの数々だった。その多くは、似顔絵と共に「パパもママも、グレイシーも大好き」とメッセージが書かれたもの。彼女は自分に時間が残されていないと気付いていたかのように、家のいろいろな場所にメモを隠していた。
今までに数百という多くのメモが、3つの箱が満たされるほど見つかったそうだが、2年経った今でも新たに見つかる時があるという。キースさんは「メモはブリーフケースからも見つかったし、本の間や化粧台の引き出し、クリスマスグッズの箱にもあった」(米ニュースサイトMSNBCより)と話し、まるで“宝物”探しのような状態。しかし、見つければ見つけるほど、隠されたメモが少なくなっていくため、「(新たな発見を)終わりにしたくない」との思いから、家族は1通だけは目を通さず、大事にその“宝物”を保管している。
エレナちゃんが一生懸命メモを隠し続けている間、両親はエレナちゃんの闘病日記を綴っていたのだが、10月27日にメモのメッセージも一緒に掲載された本「notes left behind」が米国で出版された。本の収益金は、エレナちゃんを追悼して設立された慈善団体にそのまま寄付されるという。決して大人とは言えない年齢で人生の幕を下ろしたにもかかわらず、亡くなって2年が経った今も両親や妹にたっぷりの愛情を注ぎ続けるエレナちゃん。まだまだ、家に多くの“宝物”が埋もれていることを願いたい。
プラトニック 4〖Platonic〗 (形動) 〔プラトンのようなの意〕 純粋に精神的なさま。特に,恋愛において,肉欲を伴わず純粋に相手を思うさま。「━な愛」
〈子項目〉 プラトニックラブ
大辞林 第三版
土曜日の夕方を走る山手線に乗っていた。
車内は遊びに行った帰りの人と今から飲みにでも行く人で溢れていた。僕は座席に座りただボーっと渋谷を目指していた。
新宿で電車はとまり多くの人が降り、また多くの人が乗り込んだ。その結果、僕の前には20代の綺麗な女性がつり革を握った。服装の趣味もよく、本当に綺麗で僕は彼女に見とれてしまった。しばらくすると彼女と目が合った。その瞬間、彼女は「地主君?」と言った。にぎわっている車内だったけれど、彼女の声はとてもクリアに聞こえた。ドラマのようだった。
彼女の目的地も渋谷だったので少し話をした。話していたら思い出したのだけれど、彼女は大学時代同じ学科の人だった。もともと綺麗な人だったけれど、さらに綺麗になっていて気がつかなかったのだ。わずかな時間だったけれど、彼女との会話は弾んだ。そして、いろいろとワクワクしながらメールアドレスを交換した。
家に帰ってから僕はすぐに「来週の土曜日ヒマですか?」と彼女にメールをした。あれから半月、彼女から返信はない。彼女の心境に変化はないだろうか。今からでも全然返信してもらってもかまわないのだけれど。